養老孟司 昆虫ブログ

虫日記 養老の森

虫日記イメージ虫日記イメージ虫日記イメージ虫日記イメージ
2014年10月31日

いま何をしているのか

いまは暇さえあれば、標本を作っている。なにしろ今年はマレー半島で五千数百頭、ボルネオで四千数百頭のゾウムシを手に入れてしまった。合わせて一万頭以上。マレーのは冷凍品、ボルネオのは紙包みだから、それだけ見たら、なにがなにやらさっぱりわかりません。冷凍すると虫は真っ黒に見えるし、紙包みだと開くまで中が見えませんからね。

だからそれを標本にする。一頭ずつ、大きいのは針を刺し、小さいのは台紙に貼り付ける。それにいつ、どこで、だれが採ったかを書いたラベルを付ける。そこまで行くと、いちおう標本の形になる。でもそれをただ並べたら、メチャメチャ。混乱の極み。私の本棚みたいなもの。本を探そうと思っても、まず見つからない。

だから分類をする、つまり仕分けをする。グループをまず分ける。全部ゾウムシじゃないのか。そりゃそうだが、ゾウムシといっても、いろいろありますわね。たまにはゾウムシじゃないのも入っているし。だからまず大分けをする。

オオゾウとコクゾウはとりあえず一緒。どこが一緒になるんだ。どちらもオサゾウムシですからね。ほかにもゾウムシにはいろいろある。オトシブミ、ヒゲナガゾウ、ミツギリゾウ、ホソクチゾウムシ。このそれぞれが「科」になっている。それでもゾウムシ全体を指すにはゾウムシ上科という区分があるから心配はいらない。だれが心配なんかするか。まあそういわずに、ゾウムシ上科の中にもいろいろあることをご理解いただきたい。

この「ご理解いただきたい」という日本語表現はクセモノである。まず「お前は理解していないだろうが」という、はなはだ失礼な意味を含んでいる。まあゾウムシなら「理解していない」といわれても、怒る人はいないと思う。理解しているほうがヘンだからである。でもお役人が「皆様のご理解を」というときは、「お前ら、理解していなかっただろう、これからは理解しろ」つまり「文句をいうな」という意味である。そう「理解」しなくてはいけない。

ゾウムシにはベリーデ Belidae というのもある。これもゾウムシ上科の中の独立した「科」である。私はムカシゾウムシといいたいのだが、残念ながらこの名前はべつなグループにすでに使われてしまっている。ムカシというのは「古い形を残している」という意味で、「以前はゾウムシだったが、いまでは違う」という意味ではない。今年はマレー半島でこれがたくさん採れて、嬉しかったなあ。スマホのメールなら、ここに大きな笑顔をいれるところ。

マレー半島にキャメロン・ハイランドという虫の名所がある。キャメロンといえば、虫好きの人はたいてい知っている。二月の終わりからそこに行って、たまたま開花したヤシに出会った。目の高さに花が咲いている。そうなったらしめたもの、ヤシの花にはベリーデを含めて、オサゾウムシとかデオゾウムシとか、ゾウムシがたくさん集まってくる。一網打尽とはこのこと。しかもヤシの花に集まるゾウムシを、ヤシの花以外で採ろうとしたら、まず採れない。徹底的な珍品になってしまう。

ここでゾウムシをほぼ二十種類くらい、一日で採った。最近聞いた話だが、今年は一斉開花の年だったのだそうな。マレーに密林では、七年に一度くらい、木々がいっせいに花をつける。だから次に花が咲くまで、七年くらい待たなければならない。どうしてそうなるのか、私は知らない。専門家に訊いてくれ。そういう運のいい年だったから、目の高さにヤシの花が咲いていたのかもしれない。ヤシの木は背が高い。とくに花が咲くような立派な木は、とくに背が高い。だからたとえ花が咲いていても、網が届かないのがふつうである。今回のキャメロンでも立派に咲いているクジャクヤシがあったが、網が届かない。クソッ。

マレーではクジャクヤシを fish tail palm というらしい。葉っぱが魚の尻尾に似ているからである。縄のれんが長くなったような花が付く。のれんの上と下では、発育が違って、たぶん下の方がより成熟している。この花の実に幅の広いベリーデが入っている。一個の実に一頭。虫の入った実は地面に落ちてしまうので、たとえ花に網が届かなくても、この種類だけは地面で拾える。落ちている実を拾って、割ると、中に幼虫か蛹か成虫が入っている。

面白いでしょ。面白くない? 一度採りに行ってごらんなさい。面白いから。

似たような例を日本で挙げると、アザミのつぼみにゴボウゾウムシが入っていることがある。枯れたつぼみを探して、割ってみると、同じように幼虫か蛹か成虫が入っている。でも最近は見たことがないなあ。中学生の頃、鎌倉のアザミでたくさん採った。オオゴボウゾウムシ。もういなくなったのだろうか。今度道志村で探してみるか。

ページ最上部