養老孟司 昆虫ブログ

虫日記 養老の森

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2016年03月21日

雌雄の形

雌雄の形

食うために働くのは、人にとっては重要です。だから虫についても、つい食べることで必死なんだろうなあ、と思ってしまいます。でも成虫を生殖形態、幼虫を栄養形態と考えると、話の力点が違ってきます。成虫の形が幼虫と違ってくるのは、生殖行動と関係が深いのではないか、ということです。セミやカゲロウの成虫の寿命が短いのは、よく知られていますね。知り合いの虫屋、中瀬悠太君に聞いたんですが、中瀬君の専門であるネジレバネのオスの成虫の寿命は二十四時間ですって。それなら食べる必要もないですよね。短い時間の間でも、生殖行動が無事に終わればいいわけです。

ゾウムシでも、ミツギリゾウムシの口吻は雌雄差が激しい。拡大してみると、ほとんどクワガタ並みです。少なくともミツギリゾウムシの場合には、雌雄どちらの口吻でも生きているわけですから、生存そのものに口吻の形は関係がない。じゃあ、なぜ雌雄で形が違うんだというなら、生殖行動に関係するというしかないでしょ。本当に関係するのかといわれると、私の立場からすれば、関係するかもしれないし、しないかもしれない、というしかありません。なぜかって、雌雄の形はまず基本はゲノムつまり遺伝子で決まります。そのあとはホルモンで決まってしまいますから、発生を考えたら「そうなるしか仕方がない」のかもしれないからです。つまりゲノムやホルモンのせいで、オスはオスの形になり、メスはメスの形になってしまうのです。

ただし生殖行動に関係して、メスの場合には卵を産むという大問題が加わります。オスはそれには関係がありません。一般に口吻の長いシギゾウムシは、長い口吻を使って、植物の実に穴をあけます。実の殻が厚いと、口吻を長くしなけりゃならない。ツバキシギゾウムシは屋久島産のものがいちばん口吻が長いといいます。屋久島のツバキの実は皮が厚いんだそうです。だから吻が長い。そういわれると、そうかと思ってしまいますが、オスは卵を産みませんよ。それなら吻は短くていいわけです。でもメスより短いかもしれないけれど、やっぱり長い。普通の虫に比べたら、とてつもなく長いんです。男の乳首と同じで、実用上はいらないわけですが、やっぱり存在する。だから「あるものはしょうがないでしょ」というしかないわけです。

ゾウムシは口吻が長くなったんだから、それを利用して生きているわけです。生きるために長くしたわけではないと思います。なぜかわかりませんが、ある時、どこかで、口吻が長い虫ができちゃったんです。口吻の形に雌雄差ができるのは、オスを作る、メスを作るという、それぞれの発生の過程で、口吻の形にも雌雄を決める過程の影響が出てしまうからです。カブトムシのオスなら角が生える。角がなくたって、成虫が生きるのには問題はありません。だって角がなくても、メスは生きているんですからね。

今西錦司は日本流の進化論を説きました。「生物社会はなるべくしてなる」というわけです。それと似たようなことで、ゾウムシの形も、ああなるべくしてなった、といえばいいわけです。それを分析したいなら、まず発生過程を追求すべきです。一個の卵から太ったウジができてくる。そのウジから今度は口吻の長いゾウムシの成虫ができてくる。その過程でオスとメスが分かれるのですから、どういうメカニズムで分かれてくるか、それを調べればいいわけです。

若いころ、私は発生を調べていました。ニワトリを卵から孵す。その過程を観察する。大学院生のときは、そういう作業ばかりしていました。でも虫の発生は調べたことがないんです。勉強したら面白いだろうと思うんですが、もう時間がありませんね。もっとも、ものごとを本当に調べようと思ったら、なんであれ、人生は短すぎます。

ところでゾウムシの雌雄の違いを訊かれることがよくあります。クチブトゾウムシやヒゲボソゾウムシのように、細い体つきのゾウムシでは、太めのほうが雌です。お腹に卵を入れるので、体つきが太くなるんだと思います。形でいえば、体長に比較して、体幅が広いということです。ほかにも雌雄差が出る部分はたくさんあります。十分に標本が見られなかった昔の人は、雄と雌を別な種類として記載してしまうことがありました。ゾウムシでも例がありますよ。

ここには日本で見られる大型のミツギリゾウムシの頭を例示しておきます。雌雄差が大きいほうはミツギリゾウムシ Baryrhynchus poweri,小さいほうはムツモンミツギリゾウムシ Pseudorychodes insignisです。ミツギリゾウムシの場合は、クワガタに匹敵する違いでしょ。ムツモンは雌雄差が明瞭でない例ですが、それでも口吻を見ると、違いが歴然としています。この種類の場合、雄だけしか見ないと、雌かもしれないと思うかもしれません。でも雄の口吻の触角より先の形が違っていて、雌に典型的な円筒形ではないんですね。

ミツギリ屋久島♀    ■ミツギリゾウムシ♀

ミツギリ屋久島♂ ■ミツギリゾウムシ♂

 

ムツモン大野♀    ■ムツモンミツギリゾウムシ♀

ムツモン栃木♂    ■ムツモンミツギリゾウムシ♂

ミツギリゾウムシの雌雄差はよく知られていて、イタリアの専門家のバルトロッチが世界のミツギリゾウムシをまとめた著書の中で、とくに顕著な例を挙げているくらいです。

2016年03月02日

ゾウムシの口はなぜ長い

ゾウムシの口はなぜ長い

「なぜ」という疑問は困りますね。「なぜ」は答えの存在を前提にしていますが、答えがあるとは限らない。すでに書いたように、「そうなったから仕方がない」ということがあるかもしれないからです。人生、たいていそうだと思いませんか。

「なぜそんな仕事をしているんですか」。「なぜあの人と結婚したのですか」。たいていの人は答えられないでしょうね。「なぜ生きているんですか」と自分に訊いてみればわかるでしょ。生まれちゃったんだから、しょうがない。そう答えるしかないんじゃないですか。私だって虫を採ろうと思って生まれてきたわけじゃない。子どもの時から、なぜか虫を採るようになってしまったんです。

なにはともあれ、ゾウムシは口吻が長いのです。だからゾウムシなんですが、生きものはそう簡単ではない。口吻の短いゾウムシもたくさんあります。じゃあそれがなんでゾウムシなんだ。この辺から、もともと厄介だった問題がもっと厄介になるわけです。つまり口吻が長いというだけで、ゾウムシと定義されているのではないのです。じゃあ、どういう定義なのか。

それをやろうとすると、分類学の話になります。そうなると、まずゾウムシ以前に、ゾウムシが属しているコウチュウ目(以前は鞘翅目、私はこの名前の方が好きです。地名もそうですが、名前を勝手に変えないで欲しいなあ)を定義する必要があります。でもそれならコウチュウ目が属している昆虫綱をその前に定義する必要がある。種という単位より大きい分類群を高次分類群といいます。高次分類群の分け方、つまり定義は結構面倒で、大かたの一致はありますが、学者によって違う面も数多くあります。だからそれには触れないことにすると、ゾウムシの簡単な定義はありません。

ゾウムシは分類上ではゾウムシ科ですが、その上の大きなグループをいうと、ゾウムシ上科になります。ゾウムシ上科には、ヒゲナガゾウムシ、ミツギリゾウムシ、オサゾウムシ、キクイムシなど、複数の科が含まれています。ヒゲナガもミツギリもゾウムシという名前が付いていますから、やっぱりゾウムシでしょうね。でもキクイムシは親戚だけど、ゾウムシという名前はついていません。口吻が長くないですからね。ホラ、こんな風に厄介なんですよね。

しょうがないので、普通のゾウムシを真正ゾウムシなんて呼ぶこともあります。ヒゲナガやミツギリは「真正」じゃない。でもそれだとヒゲナガやミツギリが怒るかもしれませんね。ミツギリゾウムシなんて、ちゃんと口吻が伸びてますからね。オサゾウムシはむしろ普通のゾウムシと見なされていることが多いでしょうね。

さて、口吻が伸びる話です。私の立場でいうと、口吻が伸びたのは、伸びたから仕方がないんです。じゃあ、縮めてもいいのか。いいんですね。だってゾウムシの中に短吻類という大きなグループがあって、私はそっちを調べてますからね。短吻類という用語はありますが、長吻類はない。ゾウムシは長吻が前提だからでしょうね。

短吻類は葉っぱを食べるグループです。葉を食べるのには、長い吻はいらないらしい。同じように葉を食べる甲虫の大きなグループ、ハムシは吻が伸びていません。でも吻が長いゾウムシで、葉を食べる種類もたくさんあります。ということは、葉を食べるかどうかと、吻の長短はあまり関係がないということです。

でもこういう議論をする前に、考えておくべきことがあります。吻が長いのは成虫の話です。幼虫はべつに長くない。幼虫はものを食べるのが専門ですから、口は重要です。その口が長くないということは、食べるためなら、かならずしも吻が長い必要はないということです。長くないほうがいいのかもしれません。

完全変態をする昆虫は、親子の形がまったく違います。カとボーフラを考えたらわかるでしょ。ゾウムシの幼虫なら太ったウジの形です。親と子はほとんど別な生きものですね。幼虫はさかんに栄養を摂って育ち、成虫になります。成虫は生殖行動をします。だから私は幼虫を栄養形態、成虫を生殖形態と勝手に呼ぶことにしています。その方がわかりやすいと思いますよ。幼虫はもっぱら食べてばかりいてひたすら育ち、成虫は懸命に生殖行動に励む。虫なんて、ほかにやることはなさそうじゃないですか。

ヤシ 新成虫O O

これはとてもヘンなゾウムシです。ラオスでクジャクヤシというヤシの一種の蕾から採れたもの。成虫、蛹、幼虫のそれぞれがわかると思います。一つの蕾に一頭、入っています。蕾じゃなくて、実かもしれないけれど、よくわかりません。原始的なゾウムシで、Belidaeという「科」です。写真は伊藤ヤスヒコ氏撮影。

この仲間のゾウムシは、オーストラリアと南米から知られていますが、マレーにもいます。写真はラオスやマレーで採れるグループです。このグループはオーストラリアのものとはずいぶん違います。マレーの種の多くはまだ名前がついていません。ヤシの花でたくさん採れます。

2016年01月19日

ゾウムシの形

ゾウムシは鼻が長いから、こういう名前になっているわけです。でも長い部分はじつは鼻ではなくて口吻です。長い鼻の先に小さな口が開いてますからね。

この「口吻」という言葉は、じつは面倒です。たとえばトガリネズミという動物がいます。鼻が長くて、とがっているから、トガリネズミ。でも本当はモグラの親戚つまり食虫類で、げっ歯類のネズミじゃあない。この動物の長い鼻の部分も口吻です。

それならゾウはどうかというと、あれは鼻だけが伸びてますから口吻ではありません。英語でもこれは厄介で、ゾウムシの場合、正式には口吻は rostrum です。ゾウの鼻はたぶん snout あるいは proboscis などというんじゃないでしょうか。nose はヒトの場合に使われるのだと思います。

どうして用語がややこしくなるかというと、じつは哺乳類でも、顔はいろいろ変化するからです。どれかの動物に基準を置いて顔の部分に名前を付けると、他の動物の説明が面倒になります。とくにヒトの顔は例外といっていい。鼻が顔の中央に突き出していますからね。

動物だって、鼻が突き出しているじゃないか。いや、それはちょっと違うのです。イヌだって鼻づらは出ていますが、同時に口つまり下顎も伸びています。ヒトの場合、顔はいわば退化して平たくなって、そこに鼻だけが突き出しているんです。ヒトの鼻が突き出す理由は、鼻中隔が育つからです。鼻中隔というのは、左右の鼻腔、つまり鼻の穴を分けている軟骨です。鼻の高い人では、たいてい鼻中隔が曲がっています。これは鼻中隔の軟骨が成長するのに、鼻腔の周囲が硬い骨なので、場所がなくて、曲がってしまうのだと説明されています。

言葉の説明が長くなりましたが、動物の形を丁寧に見ようとすると、どんどん話がややこしくなる。面倒くさいから、ゾウムシは鼻が長い、で済ませてしまうわけです。でもいったんちゃんと見ようと思うと、そのとたんに名前だけでもややこしいことになる。それで普通の人はあきらめちゃうんでしょうね。

ところでゾウの鼻が長いのは、キリンの首が長いのと同じ理由です。といわれても、たいていの人はぽかんとするでしょうね。簡単な絵を描いたら、すぐにわかると思います。キリンの首は高いところの葉っぱを食べるために伸びたと思っている人が多いと思いますが、私はそう思っていません。あれは仕方がないから頸が伸びたのです。どこが仕方がないのでしょうか。肢が長くなって、背が伸びたからです。長い脚の上に短い首がついていると、口が地面になかなか届きません。水を飲むのにも、膝を曲げて、しゃがまなきゃならない。これは危ないでしょ。どこでライオンが見ているか、わかりませんからね。

ゾウの鼻が長いのも、たぶん同じことです。ゾウはどんどん体が大きくなりました。祖先は頭が長い動物だったはずですが、体が大きくなるにつれて、頭をさらに長くすると、頭が巨大になって、重くなってしまいます。でも口はキリンと同じで、しゃがまないで地面につけたいですよね。だから鼻先だけを残して、頭を縮小したわけです。残った鼻で、立ったまま水が飲めますでしょ。鼻先でバナナをつまんで、口に入れたりもできる。簡単なマンガを書いておきましたから、それを見て考えてください。

頸と肢

この意味では、ヒトは極端な例外です。ヒトの特徴は後足の上に頭を乗せたことです。普通の哺乳類は前足の上に頭が乗っています。おかげでヒトは手が自由になり、ゾウの鼻よりもっといろいろに使えるようになりました。

ゾウムシの口吻が長いのは、また別な理由でしょうね。ゾウムシの親戚はいくつもいますが、かならずしも口吻は長くない。ヒゲナガゾウムシが典型ですね。名前の通りで、口の代わりにでしょうか、触角が伸びています。

甲虫には触角の長いグループがいくつもあります。典型はカミキリムシです。でもカミキリムシの触角が長い理由は、私は聞いたことがありません。ともかく普通はオスのほうが触角が長いのです。それならクワガタムシの顎と同じで、生殖行動と関係するに違いありません。

ただここは難しいところです。キリンの首と同じように、オスの触角が「やむを得ず」伸びてしまったり、顎がやむを得ず大きくなったりしたので、しょうがないからそれを使って何かしている、という可能性がないでもないからです。極端な場合、そうなってしまっただけで、とくに利用はしていない、ということですら、ないとはいえませんね。ただしそういう考え方をすると、それ以上は調べる気がなくなりますから、科学では歓迎されません。生物の形には意味がある、と断固として考えるわけです。

形の背景にあるのは発生です。つまりヒトであれ、キリンであれ、ゾウムシであれ、個体の始まりは一個の受精卵です。丸い小さな細胞です。それを親の形まで大きく育てる。一個の細胞をどんどん増やして親の形にするのですから、作るときの都合がいろいろあります。その都合で鼻が伸びちゃったり、背が高くなったり、いろいろなことが起こる。最終的な結果が親の形になるのですが、その形が生きていくのに都合が悪ければ、そういうものは滅びてしまうわけです。

動物の形を考える時に、発生を忘れる人は多いんですね。多細胞生物は毎回かならず受精卵から親を作る過程を繰り返します。ご苦労なことだと思いませんか。いきなり親を作ればいいじゃないか。細菌つまり単細胞生物はそれをやるわけです。分裂して、親と同じような形の子どもがいきなりできる。でもそれだと単細胞以上にはなれないんですね。

皆さんも直径が五分の一ミリの受精卵から育ったんですよ。自分の最初の形を考えたことがありますか?

2014年10月31日

いま何をしているのか

いまは暇さえあれば、標本を作っている。なにしろ今年はマレー半島で五千数百頭、ボルネオで四千数百頭のゾウムシを手に入れてしまった。合わせて一万頭以上。マレーのは冷凍品、ボルネオのは紙包みだから、それだけ見たら、なにがなにやらさっぱりわかりません。冷凍すると虫は真っ黒に見えるし、紙包みだと開くまで中が見えませんからね。

だからそれを標本にする。一頭ずつ、大きいのは針を刺し、小さいのは台紙に貼り付ける。それにいつ、どこで、だれが採ったかを書いたラベルを付ける。そこまで行くと、いちおう標本の形になる。でもそれをただ並べたら、メチャメチャ。混乱の極み。私の本棚みたいなもの。本を探そうと思っても、まず見つからない。

だから分類をする、つまり仕分けをする。グループをまず分ける。全部ゾウムシじゃないのか。そりゃそうだが、ゾウムシといっても、いろいろありますわね。たまにはゾウムシじゃないのも入っているし。だからまず大分けをする。

オオゾウとコクゾウはとりあえず一緒。どこが一緒になるんだ。どちらもオサゾウムシですからね。ほかにもゾウムシにはいろいろある。オトシブミ、ヒゲナガゾウ、ミツギリゾウ、ホソクチゾウムシ。このそれぞれが「科」になっている。それでもゾウムシ全体を指すにはゾウムシ上科という区分があるから心配はいらない。だれが心配なんかするか。まあそういわずに、ゾウムシ上科の中にもいろいろあることをご理解いただきたい。

この「ご理解いただきたい」という日本語表現はクセモノである。まず「お前は理解していないだろうが」という、はなはだ失礼な意味を含んでいる。まあゾウムシなら「理解していない」といわれても、怒る人はいないと思う。理解しているほうがヘンだからである。でもお役人が「皆様のご理解を」というときは、「お前ら、理解していなかっただろう、これからは理解しろ」つまり「文句をいうな」という意味である。そう「理解」しなくてはいけない。

ゾウムシにはベリーデ Belidae というのもある。これもゾウムシ上科の中の独立した「科」である。私はムカシゾウムシといいたいのだが、残念ながらこの名前はべつなグループにすでに使われてしまっている。ムカシというのは「古い形を残している」という意味で、「以前はゾウムシだったが、いまでは違う」という意味ではない。今年はマレー半島でこれがたくさん採れて、嬉しかったなあ。スマホのメールなら、ここに大きな笑顔をいれるところ。

マレー半島にキャメロン・ハイランドという虫の名所がある。キャメロンといえば、虫好きの人はたいてい知っている。二月の終わりからそこに行って、たまたま開花したヤシに出会った。目の高さに花が咲いている。そうなったらしめたもの、ヤシの花にはベリーデを含めて、オサゾウムシとかデオゾウムシとか、ゾウムシがたくさん集まってくる。一網打尽とはこのこと。しかもヤシの花に集まるゾウムシを、ヤシの花以外で採ろうとしたら、まず採れない。徹底的な珍品になってしまう。

ここでゾウムシをほぼ二十種類くらい、一日で採った。最近聞いた話だが、今年は一斉開花の年だったのだそうな。マレーに密林では、七年に一度くらい、木々がいっせいに花をつける。だから次に花が咲くまで、七年くらい待たなければならない。どうしてそうなるのか、私は知らない。専門家に訊いてくれ。そういう運のいい年だったから、目の高さにヤシの花が咲いていたのかもしれない。ヤシの木は背が高い。とくに花が咲くような立派な木は、とくに背が高い。だからたとえ花が咲いていても、網が届かないのがふつうである。今回のキャメロンでも立派に咲いているクジャクヤシがあったが、網が届かない。クソッ。

マレーではクジャクヤシを fish tail palm というらしい。葉っぱが魚の尻尾に似ているからである。縄のれんが長くなったような花が付く。のれんの上と下では、発育が違って、たぶん下の方がより成熟している。この花の実に幅の広いベリーデが入っている。一個の実に一頭。虫の入った実は地面に落ちてしまうので、たとえ花に網が届かなくても、この種類だけは地面で拾える。落ちている実を拾って、割ると、中に幼虫か蛹か成虫が入っている。

面白いでしょ。面白くない? 一度採りに行ってごらんなさい。面白いから。

似たような例を日本で挙げると、アザミのつぼみにゴボウゾウムシが入っていることがある。枯れたつぼみを探して、割ってみると、同じように幼虫か蛹か成虫が入っている。でも最近は見たことがないなあ。中学生の頃、鎌倉のアザミでたくさん採った。オオゴボウゾウムシ。もういなくなったのだろうか。今度道志村で探してみるか。

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